田舎の2000年歴史ロマン31 柳下善一著「泊の地形が面白い」に触発された 黒部川扇状地の推移(その1)

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※上のヘッダ-部スライドの1枚目「執筆者の実家(長井家)敷地内にある地神(祖先神)の石像」の写真は、
当サイトTOPページのリンクブログ(②縄文遺跡の上にある「富山県朝日町」お散歩日記)にて紹介されています。

田舎の2000年歴史ロマン31

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柳下善一著「泊の地形が面白い」に触発された
黒部川扇状地の推移(その1)


 9月末に実家に立ち寄った際に、中学校の同級生から、柳下善一さんの自費出版の書籍「泊の地形がおもしろい-泊は段丘の上にある 隠された泊町再建計画」2014年3月発行、を頂いた。柳下さんは中学校の一年先輩で、朝日町泊に在住の方である。
 サブタイトル「泊は段丘の上にある」と「隠された泊町再建計画」は、それぞれ独立の章のタイトルであるが、二つの章は全く関係ないというよりは、市街地開発計画が地形と深くかかわるという視点での論考でつながっている。


 田舎の朝日町には、代々、柳下さんのような篤志家が生まれ、土地の歴史、文化などを研究し繋いできたと思う。私がこのWebページ書きに辿り着いたのも、九里愛雄さん、竹内俊一さん(実は父の小学校の同級生)などの大先輩達の偉業があってこそである。他の町などでもそうなのかどうかは知らないが、この町には「好き者」が代々生まれやすいように思われるが、その理由や根拠は何もない。
 関心を持つと言ってもただ大先輩の後を辿るということではない。大先輩達が気づかなかったこと、調べきれなかったことなど、心のどこかで大先輩達とは違う新しい研究テーマを求めている自分がいる。他の方々も多かれ少なかれ私と同じような動機をお持ちではないかと思う。
 たとえ特段新しいテーマでなくても、他の方々の労作には、少なからず衝撃を受け、新しいインスピレーションを受ける。なぜなら私とは違った視点を必ずお持ちだからである。


 柳下さんの書籍もそのとおりだった。二度三度読み返してよく内容を勉強させていただいた。そこで私が初めて教えていただいたことは、
 ①泊の地形の形成に小川(およびその支流)が重要な役割を果たしたこと
 ②江戸時代、泊の移転前の姿を書き記した図面を初めて見せていただいたこと
 ③小字の地図があること
である。さらに
 ④「泊の再建計画」の経緯について
もこれも新しい知見だったが、残念ながらそれに対する私の今のところ関心度は高くない。しかし、今後再び振り返る時がある際には貴重な資料をご提供いただいた。


 ということで、自分の知識をいくつか再整理する必要が生じたことになる。そこでまずは折角なので、「黒部扇状地の生い立ちの中での小川東岸の地形の変化」という視点から作業を進めてみたい。



富山平野の歴史を再確認

 富山平野は、隆起し続けた山岳部とそこを河川が開析(浸食)してできた砂礫を河川が数千万年(3000万年とか言われてるらしい)かけて海谷に運び、数百メートル以上堆積してできた扇状地からなっている。黒部川扇状地もそのひとつである。
 砂礫堆積部も元々は海底にあったのかもしれない。陸地の隆起と共に水面上に顔をだしたのかもしれない。
 過去一億年の海水準(現在を0mとして)の世界変化に関する研究は、平均値で言えば一億年前に今よりも200m程度高く、その後変動しつつ現在の水準になっているとしている。
 しかしここ数10万年の単位で見ると、例えば2万年前辺りではマイナス120mで、そのような変動が0m辺りとマイナス120mの間を数万年間隔で繰り返しているという。
 ところが、縄文人の活動を考えるべきこの1万年でみると富山平野の海水準(現在を0mとして)は、1万年前頃に40m低く、5000年前頃に5-6m程度まで海進(水面上昇)し、その後2000年前頃にいったんマイナス2-3mほどまで海退(水面低下)したが、その後は戻り現在の水準になったとされている。
 黒部扇状地の年齢を3000万年と仮定し、年数に単純に比例して海水準が変化すると考えると、1億年前にプラス200mだったものが、3000万年前にはプラス60m前後になり、徐々に低下していき、2万年前にはマイナス120mとなり、1万年前頃にマイナス40mと上昇し、5000年前頃にプラス5-6m程度まで水面上昇し、その後、2000年前頃にいったんマイナス2-3mほどまで海退(水面低下)したが、その戻り、現在の水準になったとして考えることとしよう(かなり大胆な話だ)。
 しかも、富山平野は隆起しつづけてきたので、黒部川扇状地の扇の要の愛本が現在海抜125m程度ということも、隆起のこと、海水準の変化のこと、堆積のことなどを総合的にみなくてはならない。3000万年で60mほど隆起したとすると、3000万年前には愛本まで海面が来ていたという話になる。
 この仮定で話を進めていくと、2000万年前には海面は現在の海抜80m辺にあり、1000万年前には海面は現在の海抜40m辺にあったという算段になる。それが、黒部川扇状地の発達の姿ともなる。



黒部川扇状地に顔を出す断層

 活動する可能性の高い活断層として取り扱われているのは、「魚津断層群」である。黒部川以東では「不動堂断層」と呼ばれている。これは横ずれ断層で、下流側が東方向に、上流側が西方向にずれることが分かっている。大体、海抜50mの等高線に沿って伸びている。
 活断層ではないのかもしれないが、風景的には明確な断層が二つある。名前が付いているのだろうが、分からない。
 そこで、
Urban KUBOTA 31 北陸の丘陵と平野(http://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/31/index.html) に藤井昭二によるよくまとまった解説があり、そこに大変参考になる図がいくつも載せられている。その図を利用させていただきながら、説明していきたい。
 不動堂断層は、緑色で記入したので、これ以上の説明は要らない。地質調査所の調査では、平均1000年に0.3-0.5mのずれで、ここ6000年間に活動した形跡は認められないということだ。
 赤点線で二本の断層を描いた。仮に図面右のものを東断層、図面左下のものを南断層と呼ぶことにしよう。いずれも縦ずれ断層である。
 東断層は山岳地帯に深く入り込んでいる可能性が高いが下流側の50m海抜付近で曲がり、そこから最大20m程度あった段差が急激に減少し、海抜40m付近で段差が消滅している。長い間、この断層はいったいいつできたのだろうかと何度も考え、考えがまとまったことは一度もない。しかし、この藤井の図を見て新しく認識したことが一つある。それは隆起側(東側)が現在の扇状地とは起源の違う砂礫段丘だということだ(黄色く色分けしてある)。
 また南断層については、この地質図を見るとより東西に断層面が伸びている可能性があることと、隆起側(南側)が東断層と形成時期が異なるが、やはり砂礫段丘だということだ。



黒部川の河川道の変化

 750万年前あたりには、海面はプラス30mほどにあった。それを紫点線で描いてみた。それまでの隆起などに伴い現在の半径の半分くらいの扇状地が地上に現れていたことになる。そこに、東断層と南断層が活発に活動し、丘陵地に当る地域だけが大きく隆起した。東断層の断層面は、宮崎で日本海に突き出た山地断崖面に繋がっている可能性がある。少し細い赤点線でそのつながりを示した。この線の東南側が隆起したことになる。これらの断層が活動した時期を750万年前の前後に想定してみたということだ。
 その後、さらに山地側が隆起し堆積も進み海抜が低下し、今の姿になったということになる。そこに魚津断層が1万年前ごろに活動したとしてもこの姿に大きな影響を与えたと考えることはできない。


 東断層の東側、南断層の南側の段丘面は、実は、古黒部川扇状地の名残ではないだろうか?そうだとすると、これらの段丘面にも元は極めて古い河川道があったはずだが、風雨等の影響を受けて埋まってしまっているのではないか。その中で黄色段丘を縦断している舟川のように山地に水源のあるものは流れ続け、しかも段丘面の下流域で大きく開析していることが見て取れる。この大きな開析は、隆起による傾斜の増加と対応していると考えられる。


 これらの縦ずれ断層以降、黒部川は断層隆起地以外の扇状地に流れを集中し、東断層以東への関与はなくなった。後世四十八番瀬と呼ばれたように、河川道の多様化と発達が一層顕著になったということになる。


図1 黒部川扇状地と断層など


 図1でもうひとつ触れておくべきことは、現在の黒部川扇状地は、愛本を中心にして同心円を描いても説明できないことだ。しかし、マイナス50m地点を結ぶとほぼ同心円になるのは面白い。これは、黒部川河口以東で、海岸浸食が極めて激しく、海岸が経年的に後退してきているということを物語っていることを覚えておいて欲しい。これは泊の江戸時代における移転とも深くかかわるからだ。


 このように黒部川扇状地は、陸地が隆起しつつ山地を形成し、そこを河川が開析してできた砂礫が海谷に堆積してできただけでなく、海水準の変化も関わっていそうである。大きな断層の活動などの痕跡も残して形成されている。
 河川道は扇状地に放射線状に広がり、その後も土石流、洪水などが河川道の発達に影響を及ぼすだろうが、黒部川扇状地では、そこに断層の活動も加味しなくてはならないだろう。
 私はここに、古黒部川扇状地とでもいうべき段階を想定して示した。その残存部が両脇の山麓側の砂礫堆積の丘陵地と措定される。そこに大きな縦ずれ断層が作用し、黒部川流域と小川流域が分離した。(続く)

田舎の2000年歴史ロマン31 柳下善一著「泊の地形が面白い」に触発された 黒部川扇状地の推移(その1) 終
サイト掲載日:2016年10月30日
執筆者:長井 寿
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