科学と技術を考える⑨
生命誕生から幼児教育まで
宇宙・地球・生命・人類の歴史を学ぶことの大事さをこれからも自分なりに勉強し、まとめていきたいと思います。しかし、その作業を一から説明するのは大変そのものです。
本稿は、私の読書歴の中から参考とすべき書籍をいくつかを選んで紹介し、まずは皆さんの自学の足しにでもなればと思い、準備しました。
(1)中沢弘基著「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」 講談社現代新書2014年5月20日
まずは、『パピルス賞』という一般の方には聞きなれない賞の話です。
この賞が対象とするのは著者ではなく出版物です。基準として「制度としてのアカデミズムの外で達成された学問的業績」や「科学ジャーナリストによる業績」を顕彰します。受賞作リストを見ていただくと、「マニアック」な賞だと思われる方が多いのではないかと思いますが、関係者である私もそう実感します。見方を変えれば、よくもこれだけの著作を発掘するものだなと感心します。
第12回の受賞作のひとつが、CUON(株式会社クオン)発行の野間秀樹編『韓国・朝鮮の知を読む』です。まあ、手に取ってご覧いただくと驚かれるはずです。まず分厚くて、重い。韓国語でも同時出版されたそうです。双方の知識人140人がコリアンの「知」をこもごも、しかも淡々と紹介しており、したがって題材に全く統一感はありません。しかし、読み進むにつれ、だんだんとその「知」の豊かさ、深さを実感することになります。知っていたことより、知らなかったことの方が圧倒します。そして、いろんな人の「智」を集めることはこんなにすごいのかとため息をつきます。こういう方法でも、「知の統合ができる」のだと実感するのです。
少し脇にそれましたが、第12回の受賞作のもうひとつが標記のものです。何故か、私にこの本の授章説明の当番が回ってきてしまいましたので、しきたりに従い、よく読ませていただき、説明の準備をしました。それが以下の作文です。しかし、時間制限のため授賞式で全文は読めませんでした。自分なりによくまとまっていると思うので、折角ですのでまず紹介させていただきます。
(紹介文始まり)
いのちはどうして生まれたのか?というのは古代から人々の大きな関心毎です。
多くの神話では、神様がいのちを造られたということになっています。古事記では、イザナギ、イザナミが、人間の男女と同じ行為によって、島々と神々を生んだことになっております。これも、いのちの起源は、神様だということでしょう。
ところで、紀元前4世紀ころのアリストテレスは、「生物は親から生まれるものもあるが、物質から一挙に生ずるものもある」と考えたそうです。
20世紀に入り、1922年にソ連の生化学者、オパーリンが『地球上における生命の起源』を出してから、ようやく科学的に生命の起源を突き詰めようという時代になりました。オパーリンの仮説は以下のような論理展開です。
1. 原始地球の構成物質である多くの無機物から、低分子有機物が生じる。
2. 低分子有機物は互いに重合して高分子有機物を形成する。
3. 原始海洋は即ち、こうした有機物の蓄積も見られる「有機的スープ」である。
4. こうした原始海洋の中で、脂質が水中でミセル化した高分子集合体「コアセルベート」が誕生する。
5. 「コアセルベート」は互いにくっついたり離れたり分裂したりして、アメーバのように振る舞う。
6. このようなコアセルベートが有機物を取り込んでいく中で、最初の生命が誕生し、優れた代謝系を有するものだけが生残っていった。
一世を風靡し、いまでも最も有力な説として広く知られているものですが、近年までの宇宙や地球の進化史の解明が飛躍的に進み、知識が蓄積してきて、ここにきて、まてよ、という科学者が現れてきています。
鉱物学者ロバート・ヘイゼン「地球進化46億年の物語(2012)」は、生命誕生に鉱物が大きく寄与したのではないか?太陽系の中でも地球に鉱物種が多いのも生命との相互作用によって形成されたのでは?と提起しています。
理論物理学者ポール・ディヴィス「生命の起源 地球と宇宙をめぐる最大の謎に迫る(1998)」は、深海底の熱水口や地下数千メートルの地中で微生物が発見されたことを受け、そういう高温、高圧で生きる生物体であれば、宇宙を行き来していてもおかしくないと述べています。
このような書物が多く翻訳され、最近、出版界をにぎわしていますが、日本人も参画しつつあり、その中に中沢弘基著「生命誕生地球史から読み解く新しい生命像」 2014年5月 講談社現代新書 980円があります。
パピルス賞はなぜこの本に着目したのか?
1.まず、生命学者でない著者が生命の起源を科学的に論じていることです。自分の専門領域で画期的な成果を挙げながら
(「X線導管と走査型X線顕微鏡の開発」で紫綬褒章)も、自分の専門領域に閉じこもることなく、好奇心を大いに発揮し、
他の専門領域に果敢に挑み、必要な実験にも取り組んで、ひとつの体系化を成し遂げられたことを高く評価しました。
2.断片的な知識はそのままでは知恵にはなりません。断片的な知識を体系化することで科学の成果を社会の理解に結び付けて
いく姿勢が、情報過多時代の科学技術ジャーナリズムには不可欠です。本書は平易な文章を工夫しており、かつ読者の科学
技術リテラシーの水準を意識したものです。
3.本書の内容の真偽を保証するものではありませんが、科学技術水準は高いものと思います。
以上が、授賞の理由です。
(終わり)
実は、著者は、鉱物学をバックグラウンドにし、元日本粘土学会会長などの輝かしい実績と経歴の持ち主です。著者は、地球史と地球生命史を重ね合わせました。それも強引に「生命はどうやって生まれたか」を説明するのではなく、「当時当時の地球の状態を考えるとこういう条件ではこういう物質ができたり、存在できたりしたはずだ」という因果関係を展開しながら、生命のもととなる物質ができて、いくたの困難を乗り越えて、生き延びて、しかもそのたびにより高度なものに変化していった成長史となっています。地球史は著者のバックグラウンドに近い分野ですが、その知識を背景に地球生命史に取り組んだこと、しかもこの挑戦をむしろ現役を退いてから実行したことに敬意を表します。このような「しつこさ」は研究者にとって不可欠なものです。単純に「知的好奇心が旺盛」という言葉では言い尽くせないものだと思います。
(2)安田喜憲著「環境考古学への道」 ミネルヴァ書房 シリーズ自伝 2013年1月30日
日瑞基金という団体の一員として、日瑞基金サイエンスセミナーに参加し、スウェーデン王立科学アカデミー会員であり、紫綬褒章受章者の安田さんの講演を聴講する機会を得ました。おりしも富士山の世界遺産登録に関わられたお話を交えて、縦横無尽の話題を展開されました。その時、私は初めて「年縞」のことを知りました。それで本書を購入して勉強してみました。
本書は、正に自伝ですので、いろんなことが話題になっており興味が尽きない豊富な話題が満載です。そのすべてを紹介することは本稿の目的ではありませんが、お人柄をご理解いただくのは有意義だと思います。そのためには、ご本人の言葉を紹介するのが一番です。
終章「これからの目標」p.254~p255
「時代遅れとなったマルクス史観に固執したり、旧態依然の親分子分の関係の中で、まるで一昔前の談合と同じことを繰り返し、旧石器の捏造事件は自分とはまるで関係なかったかのように、ほおかぶりしてやりすごそうとする研究者こそ、西洋ではもう死語になったドラキュラにほかならなかった。」
「学問は創造であり、新たな創造は若い力の中からしか出てこない。それを支配し、梯子をはずし、抹殺すれば、学問が衰退するのは当たり前である。その轍を二度と踏まないためにも、いまこそドラキュラを退治すべきなのである。」
残念ながらというか、「ドラキュラ退治」の具体策は示されていません。多分そんなものはなく、誰が何と言おうと、きちんとものを言う、新しい学問を創造する、というあるべき姿の範を自ら垂れる、ということを言われていると思います。確かに、一人でも多く、自らの内部に潜む「ドラキュラ」をまず退治すべきではないかと思います。
さて、「年縞」のことです。「年輪」は木材の年齢を一年単位で数えることができる『バームクーヘン』で誰でもご存じと思います。「年縞」は、一年単位で地球史を数えることができる『バーコード』です。そんなものがどこにあるのか?とあなたの頭脳にクエスチョンマークが現れたら、しめたものです。
第5章「年縞の発見と環境考古学の新たな展開」(p215から)に詳しく述べられています。
従来の地層年代決定としては、放射性の炭素同位体測定法が有名で、定着していると思います。ところがこの手法には、元々測定誤差(±50~100年)があります。しかも、この方法には大気中の同位体濃度が一定という前提条件がありますが、この前提が正しくなく、最近は較正値が使われるようになっているそうです。
「(秋田県)一ノ目潟の水深45メートルのところにボーリングして、湖底の土を採る。湖底の土を観察したところ、連続した縞々の(白黒)模様があった。(中略)白い層は珪藻という藻が春先から夏にかけて繁茂してできたもの、(中略)黒い層は、秋から冬にかけて珪藻が繁茂しないために、粘土鉱物が堆積してできたことがわかった。」
なんと、二万年以上連続して堆積していることを安田さんは突き止められた。その詳細な分析を通じて、火山の噴火年、大地震の発生年の特定(±1年程度の誤差)が可能になり、例えば869年5月26日の貞観地震の発生とその影響規模(津波など)を早々と把握され、警鐘を鳴らされていた。
私からすれば、「よくもこんなバカなことをありがとう」対象の代表的なお仕事ですね。
「私たちは乏しい研究費の中、かつわずかの人材で、こつこつと年縞の研究を積み重ねてきた。それは地震計一つを設置する額にも満たないものである。もし私たちの年縞の研究がもっと進展していたら、二万人以上もの死者と行方不明者を出すような大惨事にはならなかったかもしれない。」
さて、安田さんは講演の際に、日本には年縞が多く残っているが、それは、日本人が山、里山、山林などを破壊してこなかったからだと言っておられたことが強く印象に残っています。その時は、福井県の三方五湖(みかたごこ)の最も大きい水月湖(すいげつこ)の例を示されていました。水月湖は奇跡的な例ということです。
・水深が深く湖内に直接流れ込む大きな河川がないため、その流入などで湖底の堆積物がかき乱されない。
・湖底に酸素がないため生物が生息しないことで、年縞がありのまま残っていた。
・湖の底面の沈降現象が続いて、湖底に毎年堆積物が積もって侵食して湖が埋まらない。
ということですが、もし、日本人が森林を伐採していたら、年縞ができることはなかった訳です。
森林破壊に結び付くのは、牧畜によって家畜肉をメインの食料とする食文化ということで、日本人が魚類に目をつけ、肉食としては、育てるのに自然破壊が少ない鶏、豚に留めたのは素晴らしい選択だったということです。
このように、日本人が選択した「里山、里海」文化はまだ完全には壊されていないが、実は「放置」されていると状態だと思います。21世紀以降の日本人の生きる道を考える際に「里山、里海」は極めて示唆に富んだ文化、文明ではないかと思います。
(3)小泉英明著「アインシュタインの逆オメガ 脳の進化から教育を考える」 文藝春秋2014年11月15日
小泉英明さんは、今ではほぼ「脳科学者」として世間では通っているようです。
具体的には、日立製作所などで、生体や環境中に含まれる微量金属を高精度で分析できる「偏光ゼーマン原子吸光法」の原理を創出(1975年)、国産初の超電導MRI(磁気共鳴描画)装置(1985年)、MRA(磁気共鳴血管撮像)法(1985年)、fMRI(機能的磁気共鳴描画)装置(1992年)、近赤外光トポグラフィ法(1995年)など脳科学の急速な発展を可能にする技術開発や製品化に多くの業績を持っておられますので、そう言われても全く違和感ありません。
著者へのインタビュー(http://hon.bunshun.jp/articles/-/2941)が本書の内容や狙いを極めて的確に紹介していますので、それをまずご覧になってみてください。私は、ちょっと違った視点から切り込んでみます。
ヒトの胎児は、生命史をすべて体験するように仕組まれている。
「生まれた直後の赤ちゃんは、言葉を話すことができませんね。ゆっくりと時間をかけて成長し、言葉を話すようになります。その過程で何が起こるかといえば、まず立ち上がり、歩き始める。そしがて、何かを掴むことしかできなかった手が自由になり、指で物をつまめるようになる。
こうした発達は、大きな流れで捉えたとき、類人猿からヒトへの進化の最終過程で起こったことと同じなのです。(中略)人は生まれてくる時、一度進化の原点に立ち戻る。」
これが、主題だと思いますが、まず、本書の導入を見ていただきたいと思います。
「はじめに:エルンスト・ヘッケルという人を知っていますか?人は生まれるまでの間、お腹の中で進化の過程を辿る、と考えた19世紀の学者です。「反復説」と呼ばれるこの考え方は、ダーウィンの進化論と共に、当時の社会にセンセーショナルを巻き起こし、その後、抹殺されました。当時はキリスト教の教義(天地創造説)が大きな力を持っており、それに反した意見を表明することは命がけでした。」
私はヘッケルというのは始めて聞きましたが、自分の実験結果に基づいて、率直に自分の考え方を述べられた、気骨のある人だということがよく分かりました。
今では、生物は「共通の祖先」を持っているということが定説になっていると思いますが、これ自体が大きな認識の進歩だと思います。また、これが、最初に紹介した中沢さんの著作の内容とも矛盾せず、連続した物語になります。
ヘッケルの説は、脊椎動物が卵子の受精からそれぞれの生体に成長する過程で、胎児のある段階で「共通の基本の体系」を通過するということです。それを勾玉の時期と著者は分かりやすく述べています。ヒトでは、妊娠30日くらいの時だそうです。体型は生物の進化を胎内で繰り返すということになります。
これに続き、著者は脳の進化に大展開していきます。脳も進化の歴史を胎内で繰りかえすということになります。
その結果、「「ヒトは他の動物とはちがって生まれた直後はまだ、胎児期だという考え方もあるのです」ということで、「スイスのアドルフ・ボルツマンという動物学者が生後約一年間は子宮外で過ごすと述べています」ということで、「未熟な内に出産してあとは親が丁寧に育てるという形になったと思われます。」という基本認識になります。
こうやって、本書は、6歳までの幼児教育の根幹について、育児の大変な参考となる考え方を提供するに至ります。
いわゆる「早期教育」の効果を理論的に否定されていますが、音楽(芸術的感動)は効果があるかもしれないという細かい点だけを誇張して宣伝されてしまうかもしれませんが、その根底にあるのは、
・ヒトは順番に生育していくので、その順序に確実に対応していくのが最も大事
・それと、好奇心、感動を大事にして欲しい
という著者の切実なメッセージです。
「情動は進化的に知性よりも古くできあがった構造です。(中略)知性がいくらあっても、情動が動かなかったら駄目なのです。(中略)情動とは、つまり快・不快です。それは感動から始まるのです。そして、創造性というものも、つまるところはパッション、情動が源泉です。(中略)必ず早い時期にこの感動体験(を)」がほぼ結論となると思います。
以上は、イクジイを目指す私にも大変ありがたい福音で、実践的に理解するようにしています。それ以外にも私は本書からいろんな発想を得ました。その中で、是非ともここで紹介したいのは、次のことです。
ヒトが家族(集団)を形成するのは、未熟な胎児を早期出産することへの対応ではないか
ほとんどの哺乳動物は産み落とされてから数時間後には一人歩きできるようになりますが、ヒトは一年経って歩行できるようになっても、集団の移動に一人でついていくことはできません。大人などの仲間の保護が不可欠です。そうすると、ヒトは集団行動(=家族)以外に選択の道はありませんね。長期間の育児こそホモサピエンスたるに不可欠な共同事業としてまず必要ではないかということです。必要な期間、必要な育児を集団で行うシステムこそ、人類のさらなる繁栄の土台となるはずだと確信しました。
本稿では三つの著作を紹介しましたが、ひとりひとりが、宇宙・地球・生物・人類の歴史をしっかりと順追って学ぶことが、人間的でありかつ逞しい知性を育む前提となるのではないかと強く思う次第です。その中で、地球(太陽)のありがたさを実感するべきではないでしょうか。地球(太陽)にも限りがありますし、ここでいう人間的という意味は、ヒトは大いに間違いを犯してしまうというニュアンスを含んでいます。
科学と技術を考える⑨ 生命誕生から幼児教育まで 終
サイト掲載日:2015年4月26日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明