科学と技術を考える⑦ 温室ガス削減2050年目標を急げ  

科学と技術を考える hedder画像
 

科学と技術を考える⑦

  

温室ガス削減2050年目標を急げ

-未来をどう設計するのか今すぐ検討し、行動を開始すべき、
国際テーブルから弾かれてよいとは思えない-

     

『温室ガス 米「26~28%削減」 目標提出05年比、25年までに 日本は出せず』

 (毎日新聞2015年4月1日14版2面) http://mainichi.jp/feature/news/20150401k0000e040236000c.html

 例えば、表題の記事によると、20年以降の地球温暖化対策の新たな国際枠組み作りに向け、準備できる国は3月末までに提出するとの合意に対応したものとのことである。国連は、今年末のパリCOP21で、京都議定書に代わる20年以降の新たな国際枠組みの合意を目指している。
 米国は50年までに少なくとも05年比80%削減の長期目標の下での25年までに28%削減、EUは30年までに1990年比40%以上削減を提出したことになるが、日本は将来の電源構成が定まらず目標提出を正式に断念した。日本の国内におれば、断念もやむを得ずという空気だが、国際的には「孤立」というより「置いていかれ、縮退する日本」と見る人たちが増えると想像できる。


●世界は動き始めているが、日本だけが乗り遅れている

 我々と同じシリーズの最近刊の下記著作を丁度読んでいたので、この記事に敏感に反応できた。それで、読後感想文に代えて、本稿をまとめてみた。
 この力作の長井の勝手な意義付けは、『“核エネルギーは無論、化石燃料エネルギーに頼る社会構造は、人類史の中で一瞬の宴に過ぎないのに、それによる原罪はほぼ永遠に残る”ことの科学的な分析(試論)』である。その視点で、『来るべき未来は核もなく、化石燃料もない(使いたくとも枯渇する)のは明らかで、その未来をどう設計するのか今すぐ検討し、行動を開始すべき』という結論(主張)に帰結する。
 これを論拠にすれば、世界は動き始めているが日本だけが乗り遅れているという構図がさらに顕著になるのは明白すぎる。
 以下、長井が強く同感したポイントを引用しながら紹介したい。同感とともに新たな疑問も発生する。長井の読み込みは、あくまでもエンジニアリングから見た論点整理のつもりである。


功刀正行著「人間環境革命の世紀―気候変動と人間の関わりの歴史」(東洋書店 2015年1月10日)
の読後感想文


・p.172 「ドイツ脱原発倫理委員会報告」が引用したノーベル賞経済学者ジョセフ・スティグリッツの言葉
     「ミスをしたときのコストを他人が負担する場合、自己欺瞞が助長される。損失は社会に支払わせ、利益は私物化さ
     れるようなシステムは、リスク管理に失敗する」
 →リスク管理は自己責任だ。エンジニアリングの視点からも全く同じ。自己責任が当然となる技術体系というものはない
  か? どう構築するか? について前向きに考えていきたい。」


・p.154 『この大量消費文明にどっぷり浸かったわれわれは身動きとれず、きたる大変動に小手先の対応しかできずにいる』
 p.167 『「持続可能性」と「持続可能な開発」を同時に満たすという命題から逃れられずにいる限り、さらなる隘路に迷い込む
     ことは必須であろう』
 →根本的矛盾の前に立ち往々しておれば、解決できはずがないのは確か。しかし、根本的矛盾が科学的に不可避なものかと
  いう点では、矛盾解決策がないという証明は不可能。何が根本的矛盾であり、それを克服しない限りは前進がないという
  分析と挑戦に向かっていくべきではないか。


・p.160 図6-2『文明の歴史とエネルギー消費』
 (長井の説明)横軸をBC10,000からAD10,000の時間スケールで描くと、化石燃料時代は、そのうちのせいぜい500年に過ぎな
 い。未来の地球人の教科書には「産業革命時代は化石燃料や核燃料をわずか500年で使い切ってしまった、過去と未来を略奪
 した時代」と書かれてしまうか。この図に最も心を奪われた。


・p.70-72コラム『篤志観測船による地球規模海洋観測』
 (長井の説明)著者らが中心となって、1990年後半から十数種類の有機汚染物質の濃度分布を世界規模で継続し、ようやく
 1000か所以上のデータマップが整備されつつある。
 →もし、長井の同僚だったら「よくもこんなバカをやってくれてありがとう」と最大限の賛辞を表明するところだ。経費の捻
  出等を含めて、相当の苦労、努力をされたと想像する。「こんなバカ」がいないと研究世界の土壌・空気は劣化するばかり
  だ。どうか継続していただきたい。
 →この調査は、世界中の海と陸を実際に観る機会に恵まれることとなる。著者によるその結論的見解は、長井流の書き方で
  は「西洋文明は里山、里海を破壊した。一方、日本はかろうじて、里山、里海を維持してきたが、現在は他国の里山、里海
  を収奪している。ここら辺で、他国の収奪を止め、日本の里山、里海を根拠とする方向へ転換をすべきだ」という思いに繋
  がっていく。国際的活動をしていても、都市や名所だけを観た場合には全く違った感慨を持つ人もいよう。いずれも現場
  は現場だ。どの現場を選ぶかで研究者の志向は左右される。
 ※長井は、著者のこの視座に大いに共感した。長井らの「アジアから」とも繋がる。この「里山・里海」はまた機会を改めて展
  開してみたい。著者も引用されているが、安田喜憲氏の「年縞」、「環境考古学」などと絡めてみるとその大事さがより明確
  になると思う。安田氏の「年縞」も「よくもこんなバカ」の好例だ。


・p.177 『複雑なメカニズムであることが技術力と思われがちだが、そうであろうか。よりシンプルなものの方がロスも少な
      く、当然故障も少なく何よりも安価に製造可能である』
 →全くそのとおりである。というか、「思われがち」というご認識は困る。技術の発展軸のひとつに「省」ベクトルが厳然とし
  て存在する。この逆方向をやってしまうと技術体系が機能不全にいつかは陥る。
 →さらに、言わずもがなだが「安価」は最大の競争力でもある。著者には、もっと断定的に主張いただきたいものである。
  そうでないと著者が挑戦すべきという方向性についてのその具体像が見えてこない。


・p.210 『科学不信、科学者不信が一層強まっている。専門とする分野に閉じこもり、十分な説明責任を果たしてこなかった
     ツケであり、真摯に受け止めなければならない・・・他分野にわたって判りやすく伝えることはむずかしい。しか
     し、科学者が知っていることを、自ら正しいと考えることを伝えなければこの社会で共生している意味がない』
 →最後の文章には全面的に賛同する。そのことと、「専門とする分野に閉じこもる」現象はなぜ生じたのかの冷静な分析も
  必要だと思う。そこは長井個人の経緯・反省点でもあるが、まず若い頃の「専門分野の中」は居心地がよかった。これで
  はこの分野の将来も危ういと感じたのが、自分自身の壁を破った動機になっている。この点もそのうちに自己分析をやり
  直してみたい。


・最後に言いたいこと。
  著者はご自身の論点を展開するための帰結として、「宇宙・地球と人類の生涯」から話を始めることになった。長井らも全
 く同じ帰結となった。この共通性はなぜ生じるのだろう。この点も今後さらに分析してみたい。分析のひとつの糸口になる
 かどうか自信がないが、高校の理科科目(物理、化学、地学、生物)で習うことを整理すると、「宇宙・地球と人類の生涯」に
 なってしまう。高校では、それらをバラバラに履修する。大学にいくと一気に内容が「高度化」する。ほとんどの学生には、
 「宇宙・地球と人類の生涯」をかいつまんで理解する教育機会がない。この教育機会が少ないのが日本の「理科教育」の弱点で
 はないかと考えている。換言すれば「総合的理科教育」となるのかもしれないがこの「総合的」という言葉は胡散臭い。
  実は弱点だと主張しても何の意味もないのが現実。学徒、学者を自称するならこの程度は基本教養であるべきなので、
 各人が自家版の「宇宙・地球と人類の生涯」について周りの人々に語りかけるべきではないかと思う。みずからの「弱点」を
 文部科学省におねだりして済ませるような幼稚なインテリになって欲しくない。何かを突き詰めていくと、「宇宙・地球と
 人類の生涯」から出発せざるを得なくなる、というのは極めて自然の成り行きとも言える。すべてはそこから出発している
 からだ。
  そういう意味でも、リスク管理は自己責任であり、共生している意味は自分達で作るものだと思う。




科学と技術を考える⑦ 温室ガス削減2050年目標を急げ
-未来をどう設計するのか今すぐ検討し、行動を開始すべき、
国際テーブルから弾かれてよいとは思えない- 終
      執筆日:2015年4月2日
サイト掲載日:2015年4月5日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明