科学と技術を考える⑥ 研究者は捏造するものか?(その2) 天網恢恢疎にして漏らさず(3)  

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科学と技術を考える⑥

  

研究者は捏造するものか?(その2)

天網恢恢疎にして漏らさず(3)

     

デジタル大辞泉:

 《「老子」73章から》「天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ」。


長井勝手口語訳:

 「神様の網って宇宙全体を広々と覆っていて凄いが、目がとっても粗くって見えないのはずるい。目が粗いのは神様の罠だ!目が細かくて見えると悪さはしなかったのに!」。


破面はすべてを物語る

 竹岡氏は、石器の破面を解析すると様々なことを分析できると言っている。残念ながら長井には当たり前のことで何にも新しいことでない。しかし、どうも日本の石器の関係学者にはそれが信じられないらしいことが氏の著書を読んでいると分かってくる。
 この破面に、長井が学問的共通点を見出すことになるとは想定していなかった。やはり読書はこんな出逢いをもたらしてくれるのがすごい。
 ところで、破面とは破壊面のことだ。石を割ると破壊面ができるが、それが破面だ。それが何だということだ。


事故調査と破面観察      

 長井自身は直接かかわったことはないが、研究所は事故調査の依頼を受け付けている。大体以下のようなやり取りがあるはずだ。
 依頼者:「この材料でこんなことが起こるとは思わなかったのですが、原因を調べていただけますか?」
 研究者:「わかりました。破面を見せて下さい。」
 依頼者:「材料の問題ではないのですか?」
 研究者:「破面を詳細に分析しますと、どこから破壊が起こったのか、材料にどのような力がどの程度の大きさで
      かかったかを推測できます。できれば、使用実績記録も教えていただけますと助かります。」
 依頼者:「設計上、運転マニュアル上は、それらは定まっていると思うのですが・・・」
 研究者:「通常使用条件も教えて下さい。もしかすると想定外の使用状況になったのかもしれません」
 依頼者:「材料が悪いのではないのですか?」
 研究者:「材料に問題があるのかもしれませんが、やはり破壊原因を分析してみましょう」
 依頼者:「わかりました。分かるデータはできる限り提供しますので、よろしく」
 そして、分析に掛かる時間はケースによるが、大体、合理的な破壊原因を絞り出すことができる。
 私たち研究者の鉄則は、「破面はすべてを知っている」だ。誰でも破面解析が直ぐにできるわけではないが、洗練したものに付いて、ノウハウを含めてしっかりと実習し、学べばほぼ習得できる。免許皆伝となるには、長くて一年程度ではないかと思う。早ければ、数か月で十分だ。サンプルを数多く扱っていただき、真面目に学んでもらっての話だ。


「判定基準」-前期旧石器時代に関する分野史(竹岡氏によるp.203)

○1949年 洪積世(1万年前以前)の日本は無人の地と考えられていたが、ローム層の中から石器が発見される(岩宿遺跡)。
 しかし学会の大勢はこの発見を否定した。そこで、発掘例を増やすことで、徐々に市民権が拡大。
○発見石器の文化的分類と進化論的な編年が示され、1960年頃には、岩宿遺跡が事実上、認められる事態に。
 1962年「無土器時代」→「旧石器時代」と用語が定着する。
○年代測定などの様々な方法で学問の「科学化」が進んでいく中で、二つの潮流が生まれる。ひとつは「層位は型式に優先する」
 (すなわち、どの地層から出たかが大事)流儀、ひとつは「進化論的な先土器時代文明論」(すなわち、生活と歴史を優先する)
 流儀
○竹岡氏の論点(長井の理解)は、石器がどのように人の力で作られたかを見ることができる。その鑑定力が付けば、石器が
 自然にできたものか、ヒトが作ったものか、どの時代のヒトによって作られたかなどを推測できる。フランスでその鑑定
 手法を留学して学んだ竹岡氏は、日本もこれを導入しようと言いたかった(と理解した)。
○捏造者は、自分が長年蒐集した石器を時代が判明している地層に埋め込み、それを真っ先に自分で「発見」した。「新発見」の
 石器は、一目で縄文時代のものや自然にできたものと判別できたのに!と竹岡氏は言っている。
○観察例を増やして、分析を体系化していくと、ヒトの手や腕の能力の変化、左利きか右利きかなども見えるようになると
 竹岡氏は力説している。

 今更ながらかもしれないし、考古学の門外漢の長井だが、竹岡氏に「破面学」と本質的に同じアプローチと原理を見出すことができるので、竹岡氏に圧倒的な軍配を上げたい。全く、違和感がない。
 しかし残念ながら、日本の「旧石器時代」研究者は、竹岡氏によれば未だこの手法を取り入れていないようだ。残念としか言いようがない。

 穿った意見を最後にひとつ述べておこう。
 竹岡氏の手法も、長井が紹介した「破面学」も、いわゆる物理的(化学的)手法ではなく、むしろ「職人技」と一般の人に思われてしまいそうな手法である。長井は、これをエンジニアリング手法と呼び、社会に役立つ極めて有効な科学的方法だと信じているが、どうも、物理・化学でないかぎり「科学的手法」と呼びたくない人種がいるのではないかと思ってしまう。
 科学の子『鉄腕アトム』は科学では作れない。技術がなければ作れない。エンジニア(技術者)が作り、メンテナンスする。お茶の水博士は、優れたエンジニアでもあり、数台のアトムを作れるかもしれないが、無数のアトムを作ることはできない。
 エンジニアリングとエンジニアを科学研究に積極的に位置づけるべきだろう。それができない「科学者」は大きな発展機会を失うだけだと思う。




科学と技術を考える⑥ 研究者は捏造するものか?(その2) 天網恢恢疎にして漏らさず(3) 終
サイト掲載日:2015年3月29日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明