科学と技術を考える32
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「19世紀起業の21世紀事業」-新シリーズ企画
【著者の思い入れ】
19世紀起業の会社に21世紀事業戦略を淡々として語らせたい
世の中、イノベーション、ベンチャーばやりだが、新しいものが好まれるということは、老舗企業、長寿企業は消えて無くなっていくことが「期待」されているのだろうか?新鮮な名前の企業で世の中が一新された時に、新しい時代は始まるとでも言うのだろうか?
小さな改良が積み上がれば大きな飛躍になる、というのは正しい。あらゆる科学的な指導原理は、それ自身の適用限界を持っているものだ。その理論限界に接近している場合は正しいという意味だ。だが、改良の積み上げが理論限界を越えることは論理的にあり得ない。既有の指導原理の理論限界を超える新しい指導原理を求めることになる。このことを「イノベーション」と誤解している人も多いようだが、その誤解には大きな罪はない。また、新しい指導原理は新しい革袋で、といういい方もなんとなく納得できる麗句だ。
確かに、明治維新以降日本で興った時代変化は、西洋技術の導入を「会社」という新しい仕組み、新しい革袋で、新しい色彩風景に日本全体を塗り替えていったと言えるかもしれない。
しかし、それらの「会社」はいまでは古色蒼然として光を失い、寿命を全うすべき時がやってきたのだろうか?もしくは歴史的役割を終えて退場すべき状況になっているのだろうか?
私は、必ずしも伝統を重んじるという文脈からではないが、よきものを伝承していくというのは、いつの時代にも欠くべからざる所業ではないだろうかと思う。何も長寿企業を表舞台から引きずり下ろす必要はない。ベンチャーが伝承することもあろうが、むしろ長寿企業が伝承して発展させた方が合理的な場合が多いような気がする。かといって、ガラパゴス島のカメさんのような種の保存への期待もない。不死鳥のように蘇るという脚色も要らない。
19世紀起業の会社に21世紀事業戦略を淡々として語らせたいと、思う。イノベーションでなくてもよい。新しい指導原理がなくてもよい。100年の伝統という切り口ではなく、100年の経験に裏打ちされた前向き戦略をしゃべらせたい。ぜひ聴きたいことは、自分たちの起業精神は色褪せておらず、まだまだやるべきことがある、という淡々とした決意だ。
その道が、最も効率的で、生産性を向上させる確実な道であってほしい。さらに、それが、今までにその「会社」に携わり、関係してきた人たちすべての努力を見つめ直す機会になるとすれば、それ以上の喜びはない。100年の経験の積み上げに期待をかけたい。
以上が、この項を書きだしてしまった思い付きである。
【それに対する管理人コメント】
これまでの経験が仇になるのか、長く受け継がれてきた経営センスが勝るのか
100年以上の歴史を持つ企業の理念とこれまでの社会での活躍・役割を見つめ直すということは、非常に面白いと思います。100年という歴史の中で何の努力もなくやってこられたとは思えません。何度も様々な状況で変革を迫られて、それを乗り越えて今日まできているのではないかと思います。企業の生き残りもダーウィンの進化論そのもので、弱肉強食のなかで、外部環境の変化に対応できたものが行き残ってきたと思います。生物は無意識にその時々の環境変化に対応できたものだけが残り、対応できなかったものが自然に淘汰されます。しかし、企業の場合はこれを運営する経営陣の意識を取り入れることができるので、自らの意思を織り込んで環境変化にもんどりうって対応してきた(戦ってきた)場面が色々とあったであろうと想像がつきます。
近年の急速な生活環境の技術的変化(特に通信・移動手段など)に晒され、業種・業態によっては今後どのように現在から未来の変化に対応して行けばよいのか、大きな変革を迫られているのは誰からみても明らかで、多くの方々の大きな関心事になっていると思います。
経済雑誌(最近は電子版での配信となっていますが)などで、大手の老舗企業やベンチャー企業の経営陣の記事を良く見かける機会がありますが、これも上記の急速な変革を求められるようになってきていること、そして今後どのように対応していけば良いのか、など将来への不安の現れの1つではないかと思います。
2016年10月3日(月)放送の「ぶっちゃけ寺」という番組で、奈良の興福寺の国宝館が放送されましたが、仏像も時代とともに変化しているのを取り上げていました。時代時代の外部環境状態が都度取り入れられながら仏像の表情も変わっています、しかし根本にある精神的な文化そのものは大きくは変わっていない、ということが語られていました。言葉の定義もあるでしょうが、少しずつ時代に合わせて古くから積み上げて長きにわたって伝えられていることを「伝統」、そのまま古いものを継承しているものを「伝承」と言っていました。
100年の歴史を持つ企業の21世紀事業を取り上げるのは、面白い試みだと思います。突然変異的な発想ががらっと生活環境を変化させてしまうようになっている状況において、これまで長きにわたって生活環境の変化にバランスを保ちながら生き延びてきた企業の計画する事業、これまでの経験が仇になるのか、やはり長く受け継がれてきた経営センスが勝るのか、見てみたいです。
【あらためて著者の決意】
側面からの応援歌であったとしても、老舗の企業の行く末に一つの可能性をみてみたい
仰る通り、途中の苦労は第三者の立場から見ても並大抵ではないのですが、ここでは敢えて触れないことにします。
その心は、これからも同じ環境・状況が続くはずで、今までの苦労を自慢話にしても何の役にも立たないという現実があると思うからです。
まずは、苦境を乗り切ってきた力の源泉のひとつとして、「起業精神」「企業理念」がどれほど有効だったかどうかを見極めてみたいと思います。もしかすると、当初の「起業精神」を衣替えして新しい「企業理念」で乗り切った例もあるでしょう。
それらの初心、理念がこの先も役立つかどうかにも関心があります。いずれにせよ、持続的な事業展開には、確固としておりかつ合理的な理念とそれに基づく実績の積み重ねは不可欠です。
素人考えですが、もし対象企業が現状の事業内容に固執するなら、既に飽和した日本市場に固執せずに、新しい市場を求めて、世界に展開していくのは自然な形のひとつです。その結果、自社企業実勢の中に占める日本市場の比重は下がっていくでしょう。
ところが、そのような海外展開ができない企業もあるはずです。それらを含めて、企業業績の中に占める日本市場の比重を保持しようとするなら、今のままの業態では無理でしょう。
また、業態を変えると言っても既存の他の業種に手を出すことが解答になるとも思えません。まさにイノベーションが必要になるでしょう。
自分勝手なイノベーションというものはありえません。日本市場が期待される、歓迎されるイノベーションをどうやって起こしていくのかが問われるはずです。実はそれが最大の関心事です。
さて、日本には100歳以上の企業が2万社近くあるようです。新しい起業も大事ですが、それらの長寿企業にも大きな出番があるはずです。その際に、自社勢力を二分し、今までの着物をつけたままの勢力を温存しつつ、新しい着物をつけた新勢力を試して、秤にかけてみるというような根性ではなく、自社らしい21世紀の総合的発展を考えている企業も多数あるのではないでしょうか。日本市場に立脚しようとする企業がどのように未来を切りひらいていくのか。側面からの応援歌にしかならないとしても、私は老舗の企業の行く末に一つの可能性をみてみたいと思います。
そういう思い込みからも、「19世紀起業の21世紀事業」シリーズの展開に挑戦してみたいものです。
(本稿終わり)
科学と技術を考える32 「19世紀起業の21世紀事業」-新シリーズ企画 終
サイト掲載日:2016年12月10日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明