科学と技術を考える30
日本のアフリカ化こそ
-アフリカの日本化ではなく
多くの人には聞きなれない団体名だろうが、CAETS(Council of Academies of Engineering and Technological Science、世界工学アカデミー会議)という国際団体がある。26か国を代表する工学アカデミーが組織している団体である。日本工学アカデミー(Engineering Academy of Engineering, EAJ)が日本を代表する。
持ち回りで毎年、総会が開催される。私は、昨年のインド(ニューデリー)、今年のUK(ロンドン)の総会にEAJの代表団の一員として参加する機会を得た。
今年のロンドン会議の統一テーマは、Engineering a Better Worldだった。工学アカデミーの社会的役割を見つめ直すという基本的視座を持ち、具体論としてアフリカ発展にどう寄与できるかと言う例題をUKのアカデミー、Royal Academy of Engineering(RAEng)が準備した。
そこでいくつもの耳新しいアフリカからの話題提供の中で、電波を使ったテレコミュニケーション事業を創業した若者の話に聞き耳を立ててしまった。曰く、基地中継局をひとつ作ればその地方一帯をカバーできる。自家発電(太陽光なども含む)と蓄電地があれば済むという、技術的セットとしては当然の話を展開したので現代技術としては新味があるわけではない。そこに住む人々は、携帯電話とその充電設備を持つことができれば、一気にテレコミュニケーションの恩恵を得ることができ、それに対応した新しいビジネスモデルも一気に導入できることになるのは確かだ。
何故聞き耳を立てたのか?この時、私は日本でのテレコミュニケーションの導入の歴史に思いが飛んでいた。日本では電話線のネットワークが不可欠だった。それ以前に送電線のネットワークができていたので、電柱と送電線が二重に引かれたことになる。電柱は当初は木材だったが、ようよう鉄筋コンクリート製(鉄パイプもあったか)に置き換わっていった。電線は銅もしくはアルミ(鉄)の金属線で、樹脂皮膜が施されたものになっていった。
この同じ目的の二つの異なった基盤技術を比較してみると、コミュニケーションが有線であるか無線であるか以上の違いがあることに改めて気づいたわけだ。これらをテレコミュニケーションのためのインフラ(ここでは単にインフラ)と呼ぶことにしよう。
まず、インフラの大きな特徴として、無線では可動性、柔軟性が高い。基地中継局だけを移動するなり、増設すればよい。不要になれば、それだけを撤去すればよい。メンテナンスはそこだけでよい。それに対して、有線では可動性が低い。まずもって、電柱、電線などはいったん設置すると簡単には移動しにくい。大概は土地使用料を地主に払っている(私の実家も地主だ)。定期的な点検、修理、更新が必要で、メンテナンスの占める割合は大きい。
このように考えが展開し始めたら、今後の日本でも、住宅密度の高い市街地から離れた小集落や分散した住宅などには、無線サービス切り替えていくことも有力な選択肢のひとつではないかと思い至った。
電気が不可欠だが、これも自家発電と蓄電地(定置かと思うが、配達も有りか)の組合せによって賄うことができる時代が来るのではないかとも思った。当然、電気利用効率を供給側でも使用側でもさらに高める技術開発を進めるのは言うまでもない。ガスや灯油での配達事業は既にあるので、自然エネルギーの利用拡大を含めて諸々の発電機能を高めることと蓄電池(定置型もしく配達型)のコストパフォーマンスを高めることが供給側技術の課題だろう。使用側技術では、省エネ化に尽きる。家屋の断熱、自然熱利用などもその枠内に入る。
情報と電気以外にも新しい発想の技術開発が急務となっているものが、上下水ではないか。住宅密度の低い集落での、水道管ネットワークの維持継続ができるとは到底思えない。とすると家屋近くの自然水源から飲料水等を確保する技術が必要となってくる。地下水を利用できる土地と利用不可な土地がある。日本では扇状地では地下水利用は見込みやすいが、山間地などでは「井戸」は考えにくい。近くを流れる「小川」「湧水」「生活水路」などを水源とした「浄化水」が有力ではないか。同時に生活排水、汚水の「単独浄化設備」も必要になる。
このように、住宅集中市街地以外の住居低密度地での健康で快適な居住を確保する総合的な技術開発のニーズが既に発生している。いわば日本の中に出現している「アフリカ」とも言える。それなら、アフリカと同様な発想で再開拓するのが有力な選択ではないかと思う。
当然、移動手段も土地柄に合ったものがあってしかるべきである。何も遠距離移動に最適化した自動車を無理やりそのような土地に持ってくることはない。選択の幅が広がってよい。
時代がこのように推移していった時、未来の子孫たちには、電柱や電線が遺物となり、たくさん作った道路、それに伴う橋やトンネルなども「20世紀遺物」化していくのだろう。当時は役に立ったのだろうが、よくもこれだけ無駄となるものを作ったのは何故だろうと子孫に思われるのは疑いがない。
他の例に真摯に教訓を学ぶのが大事だ。ロンドンでは、アフリカが急速に経済成長している、しようとしている姿(個人や非政府系団体)を垣間見た。そこには、アフリカの無数のリーダー達が活躍している。決して、先進国の支援に寄りかかって依存しているわけではないということが実感できたのも収穫だ。
直にアフリカの人たちにどのような支援ができるか分からないが、彼らの経験に学ぶことはできる。彼らも私たちの経験に学ぶことができる。この会議が双方向であり、相互の理解を深め合い、経験を学び合う場として、今後も有効に機能し続けることができれば、現実的にリーダー達のボトムアップの活動が発展していくに違いない。拙速なトップダウンとなれば、大概、壮大な無駄を後世に残すものだ。この点は、先進国、当然、日本の私たちも真摯に反省しなくてはならない。
(本稿終わり)
科学と技術を考える30 日本のアフリカ化こそ-アフリカの日本化ではなく 終
サイト掲載日:2016年9月25日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明