科学と技術を考える29 弾性の破壊 その4:降伏から加工硬化へ②

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科学と技術を考える29

  

弾性の破壊
その4:降伏から加工硬化へ②



変形途中の転位と除荷しても取り残される転位は次元が違う話

 弾性限を越えて変形が進行する途中に、内部に前進中の転位があることはイメージしやすい。それでは、その途中で外力を瞬間的に取り除くとその転位はどうなるのだろうか?以後、便宜のために「一本の転位」概念で説明することにする。
 もし、除荷と共に転位が元に戻って消滅するとする。これは何事も無かったことになる。一原子幅の段差も消滅するので、永久変形は残らない。したがって、これは結果的には弾性変形だったことになる。
 もし、転位が材料を貫き通したとする。変形後の内部構造は変形前と同一だが、材料の両端に一原子幅の段差が残るので、これは永久変形だが、転位が貫いた材料はもとの弾性体と同一である。
 この、途中で除荷したらそのまま転位が残ってしまった状態をどう理解するかが大事だ。一原子幅の段差は片方だけにしか残らないが、これも永久変形と定義できる。内部のほとんどは変形膳と同じ構造をしているが、転位の周り(極端には一原子距離周囲)は原子配列が結晶格子から乱れている。換言すれば、歪んでいる。内部歪みという表現を使えば、転位の周りに集中した内部歪みがあると言える。


 さて、弾性の法則を発見したフックさんが生きた時代にはもちろん、現在においても現実材料として完全結晶は存在しない。ここで完全結晶とは、一切の内部欠陥がない結晶という意味で使っている。例えば理論的にも原子空孔がゼロの金属結晶は存在しないことになっている。すなわち、最も欠陥の少ない結晶を持ってきてもそこには相当数の穴(原子空孔)が存在するということだ。
 どうでもいい話かもしれないが、フックさんが金属材料でも弾性の法則を見出したとすると、その試料は全くの不完全結晶だったということだ。つまり、内部欠陥があっても弾性を示すことは物理学が始まった当初から疑問なく受け入れられていたと言わざるを得ない。



仮想実験:完全結晶を単純に引張るとその変形曲線はどうなるか?

 完全結晶が実在しないので、この仮想実験の検証はできない。だが、この設問に私は取りつかれている。
 フックの法則を単純な直線関係と捉えるなら、完全結晶はフックの法則に従わないはずである。なぜなら教科書で習う原子配列のポテンシャル曲線は通常三角関数で表され、決して三角波ではないからである。通常材料の限度内では、あたかも直線性が保たれているとしても、理論強度まで変形させるとその応力-ひずみ関係は正弦波系にならないと話が混乱してしまう。
 このような仮想実験は多くの同僚にはつらいもののようだ。許可書で習ったことに明らかでしかも極めて単純な矛盾が生じるからではないかと思う。このことが私を魅了する理由のひとつではないかとも思う。
 だが、弾性変形を可逆性と理解すると、この仮想実験はまさに弾性変形の真の姿を示してくれる。応力-ひずみ関係が可逆的に一対一対応していることを弾性変形の定義とすれば済むからだ。応力-ひずみ関係が時には直線関係を呈しても全く問題ないことになる。


 すなわち、金属材料を塑性体とみることには基本的に疑義がある。基本認識として、永久変形が可能な弾性体とみればよくないか。


 実材料で観察される「弾性限」を越えたら破壊してしまえばそれ以上の込み入った話に立ち入らなくても良かったわけだが、金属材料は「弾性限」で破壊することはほぼなく、永久変形すなわち形を変えながら「弾性限」も上昇していく・・・・。ではなくて、本来の弾性限界に達する以前に、耐えきれずというか賢くというか、一部の原子同士の相対位置を変えながら、より高い負荷応力に対応していくと見る方がよい。
 完全結晶の弾性限、すなわち理論強度は金属の剛性率から導かれる(→つまり、金属材料は元来弾性体として扱われているのだ)その理論強度の1割以下で、弾性から外れながら、破壊せずに永久変形を残しながら、ずるずると変形していくのが金属材料の特異性を示す姿ではないか。


 この特異性を「転位」を導くことで見事に説明できたわけだ。この成功に諸先輩たちは心底感銘し、様々な現象を転位イメージで説明できないかを検討するようになっていった。しかし、くどくどしく言うが、転位は金属材料の強度が理論値よりも相当に低いことを説明したことに本質的で本来的な意義があることを忘れてはいけない。



「一本の転位」が投げかけるもうひとつの本質

 「転位密度を上げると強度が上昇する」という命題がある。この命題は論理として正確だろうか?手段論もしくは結果論としては正しいとしてよいが、論理的に正しいかを私は疑う。
 ここまでに述べてきたように、「一本の転位」がもたらすものは、周りにできる歪み場である。この歪み場がその後導入される転位の運動の妨げになる・・・というのが、命題の論理構造となる。
 この論理は何だか変だ。次に来た転位は既に導入されているので、動きの妨げになるかどうかはどうでもいいはずだ。厳密に言えば、次の転位導入の外力を先に入った転位が上昇させたという論理になっていない。次に導入された転位の移動の障害になると言ってもお門違いではないだろうか。
 私はここでは極めて現実を冷静に直視した論理を採用したい。
 外力に反応して、弾性限を越えて導入された転位は、その外力(方向性が大事)への弾性的耐性を上昇するように内部歪みを伴って導入される。
 転位を内部に導入したまま、除荷し、再負荷すると、「弾性限」は上昇する。すなわち、「強度」は増す。この論理は繰り返し再現できて、変形の進行に応じて、順次、「弾性限」は上昇、すなわち、強度が増していくことになる。論理的には、この繰り返しは、理論強度まで続いてもよいことになる。この繰り返し素過程を「転位密度の上昇」と見ることは現象的には正しい。しかし、本質は「方向性のある変形外力に対応した内部歪み分布を自己生成し、弾性体としての「弾性限」を上昇させていく、ということではないだろうか。「弾性限」を上昇させるのに寄与しない転位を数える必要はないのではないだろうか。
 このような論理展開の帰結として、方向性のある変形応力に応じて、その弾性限を高めていくということは、転位を導入することで、結晶方位をより剛性率の高い方向に自己変化させていくということが導かれる。この場合も敢えて転位密度に言及する必要もなくなる。



生きた変形では、見かけ上、粘性的要素も現れる

 さて、降伏について詳しく触れてこなかったが、漠然と、弾性限と定義すると便利と感じられたことだろう。その辺が極めて曖昧だと述べる前に、降伏を越えて「塑性体近似」できる領域での変形の特徴を紹介しよう。
 実験をしてみて実際に驚くことは、変形速度(本質的にはひずみ速度)によって変形応力が変化する。変形速度とは、単位時間当たりの引張量で考えてもらってよい。ひずみ速度に換算すると現実世界では、10のマイナス10乗辺りから2-3乗辺りまでの実験値が知りたいので、その幅は相当に広いことになる。最高の速度は例えば自動車の衝突時を想定し、最小の速度は室温でのリラクゼーションなどを想定する。私たち(筆者、管理人を含むチームはこの課題に長年取り組んでいる)。
 変形温度によって変形応力が変わることは理解しやすいのではないか。ご存じのとおり、高温の方が変形応力は低い(柔らかい)。
 同じ温度で、変形速度を変えると明確に変形応力は変わる。速い変形速度ほど変形応力は高い。丁度、変形速度を速くすることは変形温度を低くすることと対応している。
 これらの特徴は、流体の変形と類似している。粘性の概念でとらえると違和感がない。弾性固体が粘性流体に変身するわけだ。この大変化を私は、弾性の破壊の一現象としてとらえることにしている。あくまでも変形応力を捉える際の考え方であり、変形量を議論する場合は前述のように「永久変形可能な弾性体」と考える。この使い分けに付いていけない方も多いだろうが、ご勘弁お願いしたい。



ところが、急には変身できない

 では、金属材料は、弾性から粘性に一気に変わり身を見せてくれるのだろうか?


 答えは、取扱いが面倒くさい遷移段階を伴う。である。しかし、ここで変形領域が一点に過ぎない仮想サンプルでの実験を考えてみよう。変形領域が一点しかないとしたら、そこで遷移段階を定義することはほぼ不可能だ。ということは、サンプルが体積を持っているので遷移段階があることになる。すなわち、実材料では遷移段階が不可避的に現れると理解しなくてはならない。
 粘性はどこかで始まり、その領域を拡大して、ついには全域を粘性にしてしまう。どこから始まるか?と考えてみると、破壊における最弱環優先論が首をもたげてくる。全域の中で最も粘性化しやすい局所(最弱環)から始まり、徐々に拡大していく。拡大の仕方は、ある大きさの領域が点在して分布していくのか、ある一か所から全域に拡大していくのか、いくつかのパターンがありえる。
 弾性から粘性化には、いずれのパターンも起こっているように思われる。
 マイクロイールディング:特定の結晶方位を持った粒もしくは一つの結晶粒の中でもある領域などから始まり、その小領域が全体に分布していく。
 リューダース帯:肉眼でも流動化が波のように試験片全体に伝播していくことを観察できる。
 ミクロからマクロの多階層スケールで、粘性化は進行していっているように思われる。


 エンジニアリング上での「降伏強さ」は、このような遷移段階の真っただ中にいる場合がほとんどである。果たしてこの応力で設計して行ってよいものか不安になる。実際の設計では、降伏応力は一つの目安であり、その応力でそのまま設計することはまずない。ということは、本質的な設計応力というものが実はまだ理解できていないということに気づく。


 斯様に、まだまだ基礎研究のネタは尽きず、しかも本質的に未解明な課題が山積している。目立たない研究テーマだが、極めて重要で重大な課題である。このような分野でじっくりと研究を遂行できる研究環境がない世界では、進歩に限界が生まれよう。とどのつまりは安全性の根拠が不確かだからだ。幸い私が長年勤めた研究所は、このような研究マイインドを保持し続けているのがせめてもの救いである。

                                                  (本稿終わり)




科学と技術を考える29 弾性の破壊 その4:降伏から加工硬化へ② 終
サイト掲載日:2016年6月14日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明