科学と技術を考える22
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指を折って数を数えてみよう
-アボガドロ定数の凄さ-
「約六カケル十ノ二十三乗」と受験勉強で暗記した時はアボガドロ数と習った。学術界ではアボガドロ定数(1969年、「国際純正および応用化学連合」)と呼ばれ、最新の値は、6.02214078(18)×1023 mol−1 (2011年1月)らしい。「定数」というのは、文字通りに受け取るとその値が具体的に定まっていると受けとめるが、学術界では「一定の値になると分かっているが、その具体値は最終的には定まっていない(もしくは有限の桁数で記述しきれない)」のも「定数」と扱う。こうなると一般の人間には扱い難くなる。だから敢えて「アボガドロ定数」と言わなくても「アボガドロ数」で構わないような気がするが。
「正確に0.012㎏の炭素12に含まれる炭素12原子の数」というのがアボガドロ定数の定義のひとつのようである。高校で習った物理、化学からすると、確かにこれは「ある定まった数」であることに納得してしまう。
さて、アボガドロ定数に「単位」があったとは記憶していないが、冒頭に述べた最新の値には、mol−1 という「単位」が付いている。「モル当り」ということだ。「モル」とは、ある純物質の分子量の数字にgを付けた質量の純物質量と定義されているので、「正確に0.012㎏の炭素12」は1モルとなる。
ということで、ある純物質1モルに含まれる分子の数がアボガドロ定数となり、一応すべてが関連付けられて納得される。このアボガドロ定数を指折り数えてみようというのが本稿の趣旨である。
そこで、高校で習った化学反応式でよく知られているものを例題にしたい。
水素(H2)と酸素(O2)が化合して水(H2O)となることはよく知られているはずだ。この化学反応式は、
2 H2+ O2→2 H2O
と書く。
さて、高校の定期試験の問題として、この化学式の意味を答えよという設問があり、解答は二通りあると出題されている。解答が二つあり得る。すなわち、
(答え1)
水素分子2個と酸素分子1個が反応し、水分子2個ができる。
(答え2)
水素2モルと酸素1モルが反応し、水2モルができる。
答え1は分子一個一個に着目した言い方であり、ここではミクロスコピックアプローチと言っておこう。答え2はそれに対してマクロスコピックアプローチで、分子の集団を相手にしている。
このように、ミクロでもマクロでも同じ式で書けるということは凄いことだ。もしかして、ミクロ経済(個人個人の経済行動を扱うとする)とマクロ経済(例えば国単位の経済動向を扱うとする)が同じ式で書けるとすると、革命的な学問成果となるがそんなことはありえないと常識人は分かっているが、それが物理・化学の分野では成立しているような錯覚を覚えさせる。
しかし、化学反応式の真実は、実は原因と結果しか論じていないから、ミクロとマクロの現実のギャップが見えないだけだ、ということを見逃している秀才が多い。原因と結果の間、すなわち、経過(ここでは化学反応)を議論していないということだ。
それでは、その時間的な経過をちょっと考えてみよう。くだんの化学反応が一瞬の内に終わるとは誰も言っていない。ここで言う一瞬とは時間を掛けないという意味で、時間がかからないことを表すことにする。すなわち、経過は考えなくてもよいとも言える。
※水素爆発と言う現象があるので一瞬と考える方もおられようが、ここで言う一瞬とは時間を
掛けないという意味であり、極めて短時間であってもそれは一瞬ではないとここでは考える
ことにする。ところで、水素が酸素と反応する水素爆発は、原料の体積が3で結果が2(気体
水蒸気として)になるということなので、同じ温度では収縮することになる。爆発で体積が膨
張するとしたら、それは温度上昇のためということになる。水素爆発が問題となるのは、水
素がないところに水素が発生し、それが酸素と反応する場合にほぼ限られると見た方がよい。
時間を掛けず、一瞬の内に終わる反応とはどんなものか?あり得ない話なのだが仮想的には、水素分子と酸素分子のすべてがそれぞれ2個と1個の対応関係のグループに分かれて3個が至近距離で出会っている。その状態は、完全に混ざり合い、かつ各分子が規則正しく空間分布している状態とも表現できるかもしれない。このような状態を作り、維持することはほぼ絶対にできない。気体分子がある空間位置に留まっているということはまず考えられないからだ。すべての分子が動いていて、そのような状態が維持されることも想定しにくい。ある一瞬にそのような状態になる確率は計算できるかもしれないが、その数値が得られたとしても実質的には0である。以上、すなわち、同じことを別の表現で言っているだけだが、反応には必ず時間がかかる。
それでは、どれだけの時間がかかるかを空想してみよう。超々スローモーションケースをまず計算してみよう。1秒に一組、二つの水素分子と一つの酸素分子を反応させるとすると、この3モルの原料をすべて反応させるには、どれほどの時間がかかるか?アボガドロ定数秒かかるということになる。
この時間をご自分で計算してみて欲しい。すなわち指を折って数えてみるということだ、宇宙の年齢が140億年弱だが、それ以上の時間がかかることが分かるはずだ。多分実際の反応時間は、全体で1秒オーダーかその前後だろうから、一組ずつの反応(ここでは素過程と言ってみる)にかかる時間はアボガドロ定数分の1秒となり、それは実質0となる。ということで、素過程が順序良く起こるというイメージの反応は考えにくいということが類推できる。
実際の反応はどう起こるか、著者は全く知らないが、自分で指を折って数えてみるとある程度のありそうな仮説が生まれてくるものだ。それに対して、教科書に書いてある個別の真理をそれぞれ切り離して理解してみる段階にとどまっていると、現実の現象をどうのこうのと考えるという習慣がでてこない。ミクロとマクロを結び付けるアボガドロ定数の落とし穴に気づかないで過ごしてしまう。
著者が思いつく仮説はいくつかあるが、類型的には以下の二つになる。
1)ある体積毎に反応が進む。
2)素過程がある体積に一個ずつ進む。
「ある体積」がどれくらいかが分かってくると反応のモデルが生き生きとしてくる。これを単に、反応速度として、例えば○○モル/秒と数字で表してしまうとまた、真実を見なくとも話が分かるようになってしまう。だって、計算で追跡できるのだからそれでいいではないかと言われれば、引き下がるしかない。
ここで取り上げた反応は発熱反応なので、このようなモデルだと反応温度は加速度的に上昇していき、反応の後ほど、素過程の反応時間は実際には短縮するものだろう。
水素と酸素の反応は気体同士だから、気体として混ざり合っているイメージは取りやすい。それでは、炭素が酸素と反応する。すなわち、炭が燃えるという反応を考えてみよう。完全燃焼とすると
C+O2→CO2
となる。これも馴染み深い例だろう。
だが、さて普通の温度では、炭素は固体、酸素は気体である。両者を原子、分子レベルで混ぜ合わせるというのが極めて非現実的になる。ところが、上述したミクロ、マクロでの原因と結果の正しさについてはすべて当てはまる。
しかしいくらなんでも、固体の炭素が、固体の内部から酸素と反応するということは考えられないだろう。炭素が固体粉末としても、有限の大きさをもっており、人間が扱う限りは一個の粉末に含まれる炭素原子はこれまた膨大なものとなろう。反応は間違いなく固体炭素の表面で起こるとしか思えない。そうなると、反応モデルは水素-酸素反応で述べたようなものは一切でてこない。話が全く違うということになる。
以上の二つの例を見比べて分かることは、原因と結果の関係の論理がミクロでもマクロでも正しいとしても、原因から結果に至る過程については何も決まっていないということである。
これは生活実感としては当然なことが多い。例えば、種を蒔けば花をつけるが、その成長過程は千差万別である。全く同じ成長過程を示すという話にこそ違和感がある。
アボガドロ定数の大きさを実感すれば、原因から結果に及ぶ過程の多様さはほぼ無限ということが分かるはずだ。「既に学理は確立してもう学ぶべきものはない」と公言する学者がいたとしたら、それは自分の指を折って数を数える習慣を失って、身近な想像力とそこから発する身近な創造力を失ってしまったのではないかと危惧する。無限さが担保されているからこそ想像、創造が夢となるのではないだろうか。
自分の講演においても、講演会などの司会をしても痛感することは、「簡単な質問ほど答えが難しい」ということである。簡単な質問には、正直に「私には分かりません」と答えた方が建設的だとつくづく思う。
後進の若い人は、先輩の良いところも悪いところも見習うものだ。良し悪しは自分で判定できないが、潔さは自分で決められるのではないかと思う。
直立二足歩行がホモサピエンスの起源である。自由になった手についた指を折って数を数えることが、もしかしたらホモサピエンスがもうひとつ大事にした脳を働かせるのかもしれない。
「約六カケル十ノ二十三乗」を暗記させる脳の使い方を離れて、「約六カケル十ノ二十三乗」を指折って数えるところから始めて想像が生まれ、創造が始まるのではないかと漠然と思う。
「約六カケル十ノ二十三乗」を征服するには宇宙年齢を与えられても到達できないのではないか。「約六カケル十ノ二十三乗」の数の集団を自由自在に操る夢に挑戦してみて欲しいものだ。
(本稿終わり)
科学と技術を考える22 指を折って数を数えてみよう-アボガドロ定数の凄さ- 終
サイト掲載日:2015年12月11日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明