科学と技術を考える⑱
『グローバル企業で働ける人になる本』
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古川裕倫、Brian Minahan 共著「日本で仕事がなくなってもグローバル企業で働ける人になる本」、中経出版、
2012年2月2日 第1刷、207頁、1400円+税
何故、長井がこの本を読んだか?
私はハウツー本をまず読まない。手にとってもペラペラとめくるだけで熟読はしない。それで大体、「分かる」。
この本は、ハウツー本の体裁をしているので、少なからずそういう違和感を持ちながら読んだ。ひとつひとつが簡潔な80話で構成されている、正にハウツー本そのものだ。熟読しても読破はあっと言う間だった。
さて、8月末(2015)のある夕刻。数年ぶりで、著者の一人のブライアンを日本人二人で囲んだ。ブライアンは世界的な材料企業であるサンゴバンに勤めており、以前は日本に駐在していた。今は本拠地をアメリカに移して、日本、中国などを出張で駆けずり回っている。肩書は簡単に言うと「高性能材料開発担当役員」である。
実はこの三人は、私が勤める物質・材料研究機構(NIMSと略す)にあるNIMS-サンゴバン企業連携センター設立に携わった「戦友」である。三人でフランスにある本社や研究所を回り設立の下準備の旅(出張)をしたが、その時のドタバタ劇は今でも語り草で三人が集うとまずはその想い出話にしかならない。この三人会における私のミッションは、ブライアンが家族、友人、接待先に紹介したくなる「穴場」を探して紹介することだ。今回は、日本橋界隈の隅田川沿いの和風呑み屋を紹介した。案の定、気に入ってくれた。
その時に、連れが「本を書きたい、長井は既に書いている(2013)」と話を振った際に、実は私も書いた(2012)とブライアンから紹介されたのがこの本である。
ちなみに、三人の会話はいつも奇妙で日本語と英語との境目がない。かつよく笑う。周りの人が聞いていると日本語も英語も聞くに堪えないほどの下手さで、よくも通じ合うなと思われるはずだが、全く意に介せずだ。
この本はハウツーを越えている
この本は確かに、外資での日常や留意すべき大事なことが正確に伝えられている点ではハウツー本そのものである。だが、私はこの本を読んでいる途中から、「一体、グローバル化したのは企業か、人か」と真剣に考えるようになっていった。そして、結論は「企業のグローバル化は大変かもしれないが、人がグローバル化で留意すべき要素はもともとわずかだ」との思いに至った。
多分「グローバル化」を扱う他のハウツー本は、発想が逆で、例えば「グローバル化していく企業で乗り遅れないために、人はこのように変わらなければならない」との論理になっているのではないか。そして、例えば、発信力とか、エチケットとか・・・「どうでも良い」ことを並べて、人を不安に落とし込める役割を果たしているに違いないと「唯我独尊」的理解をしてしまった。
「どうでも良い」ことの極みは「英語力」だ。「英語力」の定義なしで「英語力」を着けるべしと不安をあおるのでこの事業は儲かる。どう定義するか如何にかかわらず「英語力が高ければ高いほど良い」となると、いくらでも時間と金を投資する人がでてこよう。いくら進歩しても上限はないので、これは一種のマインドコントロールになってしまう。
それに対して、この本は明快だ。第6章「ビジネス英語は高校英語よりも簡単だ」の真っ先の項67項「英語はビジネスのすべてではない」に、「上手になる必要はありません。ただ使えればいいのです。」と単純に結論を書いている。内容について誤解を与えてしまっては困るので、「英語を使う」極意について本書が丁寧に説明していることは断っておこう。その上での「上手になる必要はありません」と言っていることこそが大事なメッセージだ。
偉い人ほど自信がなかったし、今でも内心では自信を持てない
※このサブタイトルは、前回の書評と同じものを使っている。
今更蒸し返すつもりはないが、思い出してしまった。私の研究所の先輩達の、特に所長クラスなどの地位の高い人ほど「英語コンプレックス」や「外人コンプレックス」が強かった。差しさわりのない範囲で言えば、例えば「外人と親しく笑顔を絶やさず英語で会話できる若い研究者が羨ましい」と言ってはばからない正直なリーダもいた。海外への長期滞在(1年だったが)に出かける若い研究者へのはなむけに添えるだけでなく、事あるごとに言っていた。
外人に対する劣等感(や優越意識)が沈殿したり「遺伝」したりすると厄介だ。前回の「自信弱者」が社会的弱者だけでなく、社会的強者にも存在したように、英語・外人コンプレックスも社会的弱者にも社会的強者にも存在するようだ。というか、社会的強者は、そのコンプレックスを社会的弱者に煽ることもある。英語・外人コンプレックスを煽ると「英語産業」が栄えることになる。
グローバル化とは一体なんだと考え直すのが、著者の最も伝えたかったことではないか。
二人は何を伝えたかったのだろうか?
※このサブタイトルも、前回の書評とほぼ同じだ。
まえがきで、古川はこう述べている。読み始めの際に注意深く読んでおくべきだった。
最初の文章は「世界の、そして日本企業のグローバル化が、加速度を増しています。」だ。
そして、途中から主語が、企業から人に変わっていく。
「会社が変わるのを待っていては遅すぎます。その前に自分が先にグローバル化の準備をしておくことです。」・・・
「時代は変わっています。自分一人が、あるいは日本という国だけが、閉じこもって生きていけるならそれでもいいでしょう。」・・・「グローバルにならざるを得ないのです。」
そして、その準備をしましょうということで本書になる。
何だ、最初から重大な思いが書いてあった。私が読みの途中で考え込んだ、「何がグローバル化したのか?」という疑問への答えは、真っ先に示されている。
ちなみに章立てを紹介しておく。上述の私の感想を前提とすれば、著者の言いたかったことのトーンがおのずから見えてくると信じる。
第1章 グローバルに考えると仕事と人生は楽しくなる
第2章 日本の常識は世界の常識ではない
第3章 グローバル化は日本の歴史から学べ
第4章 グローバル化するために世界を知る
第5章 自分をグローバルな人材に変える方法
第6章 ビジネス英語は高校英語より簡単だ
となっている。
あとがきにいいことが書いてある。
「人種、国籍、言葉。こんなものは本当に些末なものです。ひょいっと乗り越えましょう。そのためにすることは何か。その答えがグローバル化であり、その準備です。グローバル化は、ビジネスパーソンとしてこれからの社会で成功するための必要条件です。いろいろな人に会い、いろいろな価値観を知ることで、人生がいい方へ変わるチャンスにたくさん巡り合えます。」
古川さんとはお会いしたこともないが、本書はブライアンと会話しているような気分で読めた。ブライアンが言っていたように、著者二人がよく意思疎通している証拠だと思った。
最後に
やはり大事なのは企業の幸せではなく、個人の幸せだろう。ヒトは元来、グローバルな本質を持った生き物だと思う。しかし、それなりに限られた空間、時間に縛られているので、ローカルな側面を合わせ持つものと理解している。そういう意味で、グローカルな存在と割り切っている。
元来、ホモサピエンスはアフリカから世界に広がった。科学、技術の成果に国境をつけることはできかねる。これもまた時間を掛けて世界に広がっていく。そして、地球には限界がある。惑星地球は無限ではない。一企業の将来を考える前に、自分の将来と幸せを作れるように考えた方が良い。
お互いの間の「意思疎通」以上にホモサピエンスにとって大事なものはおそらくない。成功の土台であるからこそ大事なのだが、一方、大事なのでそれを壊せば成功はおぼつかなくなるのだ。そうなると「意思疎通」をお互いに求めるのが「味方同士」で、それを認めずむしろ壊そうとするのが「敵同士」となる。
お互いに同じことを考えていることを確かめ合うのが「意思疎通」と捉えている人も時々いるが、それは多分違う。むしろ逆と言った方がよく、お互いの違いを含めて考えていることを確かめ合うのが大事である。まず、いろんな点でお互いに同じことを考えているという状況の方が稀有であり、不自然で、違った点があって当然としたい。全く同じということを認めないというつもりは毛頭ないが、人と人との信頼関係というものはそういうものだと思う。
そういう一人一人が幸せを掴む努力ができないような企業では困る。本書を読み込んで、どうもそういう企業は「グローバル環境での自然淘汰」の過程で消滅していくのが順当のようだと理解し安心した。
蛇足になるが、私の人生観を端的に表した言葉のひとつは、
“Good meals, good drinks, and good friends”だ。
欧米だけでなく、中国でも韓国でも、食事会の席でこの言葉に賛意を示さなかった人に会った試しはない。
時々、日本語ではどう言うの?と求められる時がある。無粋で、あえて聞かれたくない質問だが和んだ場ではこう「和訳」している。
「いい飯、いい酒、いい女」。
大体、皆さん、女性の方も一緒に、笑われる。
ブライアンには、また違った趣向の店を探して置くように期待されたが、これは易しく答えが見つかる宿題ではない。ちなみに私の方が一年弱先輩なのに、と内心思うのは育った文化の違いだろう。
科学と技術を考える⑱ 『グローバル企業で働ける人になる本』を読む 終
サイト掲載日:2015年9月14日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明