科学と技術を考える⑮ 異分野融合の障害は? (その1) 制度上の壁

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科学と技術を考える⑮

  

異分野融合の障害は?(その1)

制度上の壁

 「異分野融合」が日本の将来を拓く鍵だという認識が高まっている。そのとおりだと思う。だが、望ましい「融合」を実現するためには様々な障害がある。どのような障害があるのかを認識し、そのひとつひとつをどう乗り越えていくのかについて成算がないと、「異分野融合」は絵に描いた餅になる。
 ものごとを成すには、必ずTactics(実戦戦略)とLogistics(後方支援)が結び付いていないといけない。両者が役割を分担し合うのが通常だが、未知の領域を五里霧中で進むときには、実戦/兵站未分化態勢で先遣隊を派遣し橋頭堡を築く戦略が功を奏する場合が多い。
 日本の現状で「異分野融合」は未知の領域にあるように思われる。「異分野融合」の掛け声をかける人達は果たしてそういう現状認識なのか心配になる。また、研究開発で最も大事な成果は、新知見、新知財というよりも新人材でないかと強く思う。紙に書いた成果がいくら出ても、それだけではダメだ。優れた兵器は有力なツールだろうが、それを使いこなす人材がいなければ使えない。使い方を間違えば災厄となる。
 このような基本認識に立って異分野融合での人材育成に挑戦する際の超えるべき壁=障害についていくつか考察してみたい。


研究者の自己成長に必要なものは何か

 人材が大事ということは、研究者の成長ということになる。私自身は「学校教育」とは無縁の人間だが、経験は少ないとしても「研究者の成長」と無縁だった訳でない。その少ない経験上からだが、思うところがある。ここでは国立研究所での内部/外部の「材料研究者」を具体的対象例とさせて欲しい。


1)「こういう場があったらよいのではないか」と思うところ
 ・材料に求められる課題を正しく認識するための様々な情報が得られる場(ニーズの把握)
 ・打ち手としての様々な基礎理論、諸仮説に触れることができ、さらに多様な研究ツールを利用できる場
  (シーズ、ポテンシャルの把握)
 ・科学的アプローチが遵守される場:
  (A)個別研究では「仮説-実験方法-実験結果-考察-結論」サイクルが実行できる場
  (B)研究プロジェクトでは「Plan-Do-Check-Action」サイクルが実行される場
 ・他者と切磋琢磨する場:
  (A)個別研究では、口頭発表によるプレゼン能力、意見交換能力を研鑽する場であり、論文発表による科学論文作成能力、
    対査読ディフェンス能力を研鑽する場
  (B)研究プロジェクトとしては、自ら主宰する研究集会などを通じて、プレゼンスを高めつつより多様なアイデアを吸収す
    る能力を研鑽する場であり第三者により定期的なピアレビューを受けて、説明能力を高めつつ、よりよい法案を抽出す
    る能力を研鑽する場
 ・卓抜した研究成果や研究者個人を顕彰し、褒める場


2)「研究者にはこういう個人資質があったらよいのではないか」と思うところ
 ・好奇心が旺盛(他者の意見を面白いと思う)
 ・熱意がある(何とか実現したいことがある)
 ・打たれ強い(異端者=「出る杭」は叩かれる)
 ・やり遂げる(中途半端に終わらない)
 したがって、「学業成績に自信がない」「対人関係が苦手」「口下手で、不器用」などは上記を満たせば問題ないとも言える。


 このような観点を念頭に、「新しい価値を体現する新しい人材も育成する場」が生まれる土壌を耕す自分自身の挑戦を振り返ってみたい。



異質なものを隔てる高い敷居を低める(制度上の問題点)

 産学連携の検討をお願いするために訪問した先々の企業で、「国立研究所の生き残りのための方便として、企業を利用するだけではないか」という厳しいコメントを度々受けた。多少打ち解けてきたところでその真意を確かめてみると、


・国研の研究者が、企業人と同じテーマを真剣に行うとはにわかには信じられない
・研究者が受諾しても、上司や霞が関が反対するとできないのではないか。もしくは突然変えられるのでは
・企業では、納期という概念があるが、国研の研究者には納期という概念がないのではないか
・知財を特許化する意識が低いのではないか
・研究成果を直ちに外部でべらべらしゃべってしまうのではないか


などなど手厳しかった。


 このように言われてしまうように、独立行政法人化以前の国立研究所は外部者に対して基本的に「閉鎖的」だった。今となっては「笑い話」にしかならないものもあるが、いくつか例示してみよう。


・国立研究所に籍を置くためには、「官」とならなくてはならない。典型的例としては「客員研究官」があるが、「この名称は官尊
 民卑の風習そのものだ」と酷評する人もいた。「たまには天上がりしても良いか」と揶揄する人もいた。「官」であること自体が
 目に見えない壁を作っていた。独立行政法人化して、ようやく私たちも制度的に「民間人」に近づいた。意識の中にはまだ「公
 務員根性」が残存し、なかなか変わらない点があるが、受入のための制度上で壊せない壁はない。


・独立行政法人化以前は、いわば「治外法権」に近かった。安全規定が民間と比べると相当甘く、これではわが社は派遣できな
 いとレッドカードを出された。安全確保の組織体制、安全器具整備、安全マニュアルの充実などなどについて、極めて真摯
 に教えていただいた。これらに関する対応は、関係する規制法をひたすら遵守するという初歩から始まったのが実際であ
 る。「研究所は営業利益を出す営業所とは違う点を考慮してもらうべきだ」的な雰囲気(「治外法権」で何が悪いのかというイメ
 ージに近かった)が壁を作っていた。コンプライアンス遵守という当然のことをすれば、壁はなくなる。


・健康保険や年金などのポータビィリティがなく、年金では積み上げが切れる懸念がある。来て下さいと言っても、家族を含
 めた住まい、就学児の転校などへ対応などを含めた緻密な支援がなければ生身の人間は動けない。「人材流動化」が雇用条件
 の実質劣化になるようでは、「騙された」と言われても弁解のしようがない。この点は制度上の見直しも含めて根本的に総合
 的に設計し直すべき要素を含んでいるが、個人へのしわ寄せを最小限化するように運用することは可能である。なるべく早
 く、個人へのしわ寄せがなくなるように対処した方がよい。


・「共同研究」の概念は当然あったが、冷静に分析すると「共同研究」とは実質は分担研究であり、持ち帰り研究という体裁をと
 ることが前提だった。すなわち、同じ研究室で一緒に研究するという具体的概念がなかったという意味だ。「一極集中研究」
 もしくは「出身母体が異なる研究者が一堂に会して、一緒に研究を行う」という概念は実質なかった。したがって、制度上、
 「一極集中研究」は「共同研究」と対立概念となった。一般人としてはどちらも「共同研究ではないか」と思われるだろうが、そ
 のとおりである。多分、「共同研究」の概念を充実することで整理していくべきことと思われるが、このような明確な制度上
 の対立は直ちには修復困難である。しかし、「一極集中研究」をしてはならないという法的規制もないので、合法的な仕組み
 を設計することは可能だった。現在でも、「共同研究」概念の再整理はなされていないが、「一極集中研究」はほぼ優先的な国
 策になっているのは隔世の感がする。


・特許の実施団体でない国立研究所が特許を保有する意義は日本では意外と薄弱である。国家戦略的に国立研究所が特定の分
 野の特許を保有し守るという方針を採っている国もあれば、公的研究機関は基本的に特許を保有しないという方針を採って
 いる国もある。日本は、悪く言えば、民間と競争させてでも公的研究機関の特許保有を奨励している段階である。私は、前
 二者のどちらかにしてもらうと分かりやすいと思っている。しかし、実際は第三の道であるので、これはこれとして遵わな
 ければならない。いずれにしても、特許実施団体である民間企業の事業に役立つように特許を運用しなければならない。異
 分野融合、産学連携という観点から見れば、この曖昧な特許政策は大きな障害になっていることを指摘しておこう。



次回は、融合の前提となる相互理解について述べたい。




科学と技術を考える⑮ 異分野融合の障害は? (その1) 制度上の壁 終
サイト掲載日:2015年8月16日
執筆者:長井 寿
サイト管理人:守谷 英明